まつどとか
千葉北西部、
        くさのめも
      周辺ぷち植物誌。
© T. Codd

このブログについて


近所に咲く草花



このサイトは私の住む地域で育つ野草についてのごく簡単な図鑑です。

ちっぽけな地域図鑑ですが、何か見つけたらちょこちょこ更新しています。ご覧になられるどなたかにとって「情報」が少しでもあると感じていただけることがあれば、嬉しい限りです。

  • 本来の基点は千葉県松戸市の「東松戸」周辺で、ここから散歩レベルで徒歩移動可能な数km範囲をメイン対象としますが…何年か前から開発が再開して荒れ地すらなくなってきたため、実際にはかなり広範に数十kmの範囲でふらふらとしています。
    もはや散歩ではなく折り畳み自転車を使っていて、電車輪行もしています。
    (この駅の前で折り畳み自転車を畳んで包む人間を今まで見たことはこれまで一度もないため、駅前で畳んでる姿を見たら多分私なので、「また草を見に行くのか」と生暖かい目でそっと見送ってやってください。)

  • 在来にしろ帰化にしろ野草か、野生化した栽培種が対象です。庭や花壇、畑、田んぼ、果樹園等で栽培されているものは掲載しません。
    また、つる性の木本や小型の木本は含みますが掲載のほとんどは草本です。ごく一部だけ、立ち性の大きめの木本でも掲載していますが、たまたま気が向いたため撮っただけで滅多にありません。
    更に、分解したり傷つけないと判断できない種類はなるべく避けているので掲載もありません。

  • 時期の情報・形態等はすべてこの地域に分布している個体群に基づいたものです。
    同じ種類の植物でも花や実等の各時期は地域によってまったく異なりますし姿も気候・環境で異なったりしますから、ご注意ください。ふたつのぷち図鑑がいずれも地域を冠しているのはこのためです。

  • なお、撮影は全てコンパクトデジタルカメラで行っています(まれに携帯電話のおまけカメラ)。高倍率ルーペをフロントコンバージョンレンズのように接続する等それなりに工夫して細部の撮影もしていますが、色々限界があります。期待に沿えないレベルのものは多数あると思いますが、よくない写真は徐々に再挑戦して少しずつましなものに入れ替えてはいますので、見守ってやってください。

  • 操作系・デザインについて:自分で図鑑用に都合のよい管理システム自体を開発した方が実は手っ取り早いのですが、それに必要な機能を使える高速で安定しているレンタルサーバは無料ではさすがにないので、諦めて次善の策で無料ブログサービスを利用して無理やりそれっぽく作成しています。(転用しているだけなので各部融通は全くききません。)
    デザインは図鑑サイトとブログとの中間的なレベルでちょっと使いにくいかと思いますが、大した種類数もないので我慢をお願いしたい…と思います。
    なお、ネットの検索サイト等では当然ながらブログとして認識されてしまいますが、一般の「ブログ」(:weblog。書き捨てタイプというと失礼ですがようはそういう、インターネット上の日記的なもの。)とは異なり、既存の記事についても内容は随時加筆・修正等行われています。

「草木をめぐる状況について。」

東松戸周辺にしろ他の出先にしろどこも急激な開発がこの数年行われています。このサイトに載せた日には既に失われていたものも多数あり、このサイトは失われた植物の記録でもあります。
家の周りで近いうちになくなると今考えられるのは、カントウヨメナとカワヂシャです。区画整理して建築に備え土地「改良」が行われていて、同じ荒れた空き地でも湿った場所はほぼなくなりましたので、数年で失われるものと思われます。)
また、2011年には近所のアカネスミレとキジムシロの生育地が失われました。

「…ごはんつぶは残しません。」

「…ごはんつぶは残しません。…出たものは食べきります。…落とした食べ物は…頑張ります。…。」
いのちについて色々学んだ後の大人の場合、
直接いのちを繋ぐ場合以外にいのちを積極的に傷つけてまで行う際に負う責任は、「せめてもの」ですが社会への出力発信提供という形で無駄に終わらせないようにその後の労力をもって取るくらいは必要があると思っています。(もちろんそれ自体勝手な言い分で、実際には目的が何であれ植物にしてみれば傷つけられ損ですが。)
薬学にしろ分類学にしろ応用的な学問にしろ食品開発にしろ、文明・文化はそうやって常に誰かが責任を持って何らかの「出力」をしてきたことによる「化学反応」の連鎖で発展・維持されてきたもので、ただ単に「見た・納得した・終わり。」というだけの人はその中に入っていません。
(「草むしり」ですら、そのまま放置すれば殖えまくって生活上困る場合にだけすることですよね。土地を切り開いてひっくり返すのだって、必要な何かを建てたりして生活するためのもの。…実際には、明らかに無駄な開発工事が多数あると思いますが。…。)
逆に言えば、出力がなくても「他者を傷つける行為が自分の人生においてどうしても必要」なら、仕方のないこともある点は理解できる部分もあります。
ですが、ただ見て終われば誰の役にも立たないことは意識するべきですし、後にそれ以上まとめたり結果から何かしらの理解を深めることさえしないなら自分自身の進歩発展すらないことも、意識するべきだと思っています。

私はせめてものこととして得たものをここやまたは別の手段(出版物等)で「出力」することは心がけ、私で終わらないよう自分なりの努力はしていますが、自分の行う「程度」のことを鑑みると「だからと言ってそう傷つけまくるべきではない」ので、今のバランスでいます。
また、花等を分解する場合はできるだけもう落ちて役割の終わったもの等を用いてその場で行って、その場に残してきます。
なんにしろ、「結局のところは自分のエゴで確かにいのちを傷つけている」のだからそれへ何か多少なりと報いることだけは常に自覚していようと思っています。

カーペットに落ちたポテトサラダは無理です。じゃがいもさんたち、ゴメンナサイ。…。
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